JOURNAL クリエイティブとマーケティングの話

Webサイトにユニバーサルデザインは必要なのか?

何年か前から、ユニバーサルデザインの考え方をWebサイトに持ち込もう的な話を見聞きするようになってきた。

これを読んでくれているあなたも、もしかしたらX(旧Twitter)やどこかのブログなんかで見かけたことがあるかもしれない。

今回は、Webデザインにユニバーサルデザインは必要なのか? という話をしたい。

はじめに言っておくと僕は、Webサイトにユニバーサルデザインを持ち込むことには懐疑的だ。

誰もが使いやすいデザインを目指すと、誰にとっても不便なデザインになる

まずユニバーサルデザインとは? ということだが、簡単にいうと「年齢や性別、言語、国籍、文化、身体的特徴などの個性や違いにかかわらず誰もが使いやすい設計(デザイン)」「最初から誰にとっても使いやすいデザイン」のことらしい。

これだけ聞いても無理感は半端じゃないのだが、もう少しだけ掘り下げてみたい。

たとえば色(配色・色相・彩度・明度など)はWebデザインにおいて重要な要素だが、その色にしても国によって持たれているイメージは違う。

黄色は日本だと「明るい」「活動的」「幸せ(『幸福の黄色いハンカチ』とかあるよね)」というイメージだが、中国では卑猥なイメージを持たれていることが多いそうだ。

また日本では「エコ」とか「平和」「癒し」の色とされる緑は、欧米では「毒」とか「不気味」というようなイメージがある。
映画『エイリアン』でもアイツの血は蛍光グリーンだったはずだ。

次に言語について。

英語は左から右へ読むが、アラビア語は右から左へ読む。
日本語や韓国語はもともと縦読みだ。

ユニバーサルデザイン的に読む方向を考えた場合、どうするのが正解なんだろうか?

そのほか、体格によってちょうどいいサイズも違うだろうし、利き手によって使いやすい配置なんかも違うだろう。

それなのに誰もが使いやすいデザインを目指すことで、誰にとっても不便なデザインになってしまわないだろうか。

もっと言えば、そもそもユニバーサルデザインって「他人も自分と同じように物事を認識している」という傲慢さが必要で、その時点でさまざまな個性や違いを無視していることになってしまう。

だからユニバーサルデザインで誰もが快適なものを目指すなら、その前段階で個性や違いを排除してみんなを均一化しておくという、多様性と真逆をいくような所業が必要になるじゃないか。

「はじめから誰もが使いやすいデザイン」って親切なように思えて、実際には思いやりを放棄する思考に思える。

個性や違いを認めて、それぞれに合わせて設計する方が、ずっと他者に寄り添うデザインじゃないかと思うのだ。

誰でも心地いいではなく、誰かにとってものすごく心地いい

Webを考案したTim Berners-Lee(ティム・バーナーズ=リー)という人が、こんなことを言っている。

The power of the Web is in its universality. Access by everyone regardless of disability is an essential aspect.
Webの力はその普遍性にある。障害の有無にかかわらず、すべての人々がアクセスできることは、Webの本質的な特性なのだ。
https://www.w3.org/mission/accessibility/

これを拠り所にして「誰でも使いやすいWebサイトを作るんだ!」「そのためのユニバーサルデザインだ!」というのは、ちょっと短絡的かなと思うし、「とりあえず流行り物には乗っとけ」的な安易さを感じてしまう。

この場合、「Web」と「Webサイト」は分けて考えた方がいい。
「街」と「店」みたいな関係性だ。
Webが街で、そこに立ち並ぶ店がWebサイト。

誰もが気軽に出歩けて、自由に楽しめる街はみんな大歓迎のはず。
ティムさんが言うようにWebもそうあるべきだと思う。

だけどその街のお店がどれも似たようなコンセプト、たとえば「大人から子どもまで楽しめる」みたいなものを目指していたら、そんな街は魅力的だろうか。

バーで子どもが騒いでいたり、大人な雰囲気の中にキッズスペースがあったりしても、喜ぶのは他人の迷惑を省みないモンペくらいだろう。
女性だけの空間で安心して楽しみたいのに、「ユニバーサルですから」っておじさんの軍団が押し寄せたらガッカリだろう。

オタクの街がオタクの街でなくなったり、若者の街が若者の街でなくなったり。
ユニバーサルデザインをお店にまで持ち込むことは、誰かの心地よい場所を奪うことにつながるのではないか。

Webそのものは、すべての人々がアクセスできるべきだと思う。
でもWebサイトは、特定の誰かのためにデザインするべきじゃないか。

そのためにペルソナとかターゲティングとか、みんなあーでもないこーでもないと頭を捻ってきたんじゃないのか?

みんなが自由に行き来できる場所で、それぞれが心地いい場所を選べる、というのが本当のユニバーサル(普遍性)じゃないかと思う。
Webサイトはそのために、誰でも心地いいではなく、誰かにとってものすごく心地いい場所を目指すべきだろう。