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場所が変わると、何が正しいかも変わる。

2021.10.19 2022.03.23 随筆的

アフリカのある国に滞在中、明け方にけたたましい犬の鳴き声で目が覚めた。

カーテンの隙間から外をのぞくと、家の前の広場を挟んで向かいの家で、年配の女性が木の棒を何度も振り下ろすのが見えた。

何を叩いているのかは遮られて見えなかったが、先ほどから聞こえる悲鳴の主であることは容易に想像できた。

「嫌だな……」と思いながらも、実は犬や猫が折檻される場面は第三世界で度々目にしていたので、そのときも胸が痛みながらも他人事として再び眠りについた。

数時間後に目が覚めると、ホームステイ先(友人の親戚宅にホームステイしていた)の人たちも目覚めており、朝食をとっていた。

軽く挨拶を交わして、いつものようにコーヒーを持って煙草を吸うために玄関先へ出る。

すると家の前の広場のど真ん中に、まるで晒すように犬の死体が転がっていた。

考えるまでもなく、今朝の犬だろうと思い至った。

何事かと困惑しながら周りを観察するが、近所の人たちはいつものように一日を始めようとしている。

味のしない煙草を吸いながら居心地の悪さを感じていると、いつも僕の世話をしてくれているステイ先の少年が家から出てきた。

すかさず少年に、「あの犬は何?」と尋ねた。

すると少年はこともなげに、「あの犬は他所の犬とケンカして殺したから、罰として殺された」と教えてくれた。

僕が何も言えずにいると、少年は「あの犬を殺さないと、殺された犬の飼い主が納得しない」と続けた。

つまりあそこで転がっている犬は、飼い主によって撲殺された後、殺したことを相手方に知らせるために晒されているわけである。

僕の価値観では、もっと他に解決方法があったのではないかと思わずにいられなかった。

でもここではそれが正解、少なくとも他人が非難するようなことではないと認識されているのは、周りの雰囲気から想像できた。

場所が変わると、何が正しいかも変わる。
命の重さも、変わってしまう。

10年以上経った今でも印象に残っている、ある朝のできごと。