以前にこのブログで、生後すぐから4ヶ月間の入院生活をしていた息子の話をしました。
現在は1歳半になり、病気の影響もなくすくすくと育っております。
医者にも言われましたが、この病気を持って生まれた子にしては完璧に近い成長具合だそうです。
ただただ妻に感謝です。
ということで、息子が日に日にわんぱくさを増していくと同時に気持ちに余裕も出てきましたので、この1年半を振り返ってみたいと思います。
息子が生まれた次の日、妻子はそれぞれ別の病院へ
前にも書いたかもしれませんが、妻も出産時に腎臓を傷めたため、妻子それぞれ専門医のいる別々の病院に入院することになりました。
それが息子が生まれたと翌日のことで、僕としては天国から一気に地獄に突き落とされた感じでした。
1ミリも動かない息子と、痛みに耐えながら息子を心配して泣き続ける妻。
どうすることもできず、まわりに十分言葉の通じる人間がいない中、ずっとイライラしてたのを覚えています。
妻の方は幸いにも入院当日の深夜に手術を受け2週間ほどで退院。
しかし産褥期ということで安静が必要なため、息子の病院には行きたくても行けない日々が続きました。
この頃は家族のうち誰か一人が5分ほど息子に面会できるというような感じでした。
そのため、僕か義母が日替わりで息子に会い、状況を電話で妻に伝えるというようなことをしていました。
医者の「覚悟してください」は本当にきつい
そんなことを続けていたある日、深夜に病院に泊まり込んでいた義母から電話があり、すぐに病院に来いと言われました。
急いで病院に行くと、医者から緊急で手術をする必要があること、息子の体力を考えるとうまくいく可能性は低いということを言われました。
ショックで失神して倒れる人をドラマなんかで見たことがありますが、このとき僕も一瞬意識が飛んでフラッとして、人間て本当にそうなるんだとどうでもいいことを考えたのを覚えています。
手術は深夜まで掛かるということで、妻の体調を考え妻と義妹は病院近くのホテルに泊まらせ、僕と義母とで手術が終わるのを待つことになりました。
ただ、じっと座っていると不安でどうしようもなくなるので、意味もなく病院の敷地内や周辺を歩き回っていました。
しばらく止めていたタバコに再び手を出したのもこのときでした。
そのまま空が明るくなった頃、医者から手術は成功、あとは息子次第というようなことを言われました。
息子、4か月の入院生活&僕はノマドデビュー
手術が終わり、息子は日本でいうNICU(新生児集中治療室)みたいなところで経過を見ることになりました。
その間も、以前と同じように僕と義母で5分面会、その後は妻に状況報告というような毎日でした。
息子に会う5分のために48時間待つ、というような日々で、本当に心に余裕がありませんでした。
NICUの待合室には、同じような状況に置かれた親たちが大勢います。
中には泣き崩れて両脇を抱えられながら出てくるお母さんもいて、いたたまれない思いでした。
僕自身は情けないほど気持ちに余裕がなく、他人のことを思いやることもできないような状態でしたが、ベトナム語の分からない僕のために一生懸命通訳してくれようとしたり、息子のベッドの位置が変わったことをマップを書いて教えてくれる人たちがいて、とても救われました。
息子が生まれてから、僕の家族の生活は息子中心のものに一変しました。
いつ息子の容態が急変するかも分からず、家に帰ることもままなりません。
そのため、僕は病院の近くのカフェを利用して仕事をするようになりました。
図らずも、ノマドワーカーとしてデビューしたわけです。
その後、息子の容態も徐々に安定し、ミルクの量も5ml、10ml、15ml…… と増えていきました。
その頃には妻もだいぶ動けるようになり、NICUから出たあとは付きっ切りで看病していました。
息子は消化管穿孔という腸の病気だったため、腸に負担をかけないようにじわじわとミルクの量を増やし、それでも下痢をしてしまい、また少ない量からやり直し、という感じで一進一退の状況が続きました。
2016年後半はほとんど仕事してない
息子が生まれるまでは1日12時間以上は働くという仕事中心の生活をしていましたが、息子が生まれてからの2016年後半はガクッと労働時間が減りました。
制作案件は知り合いからのものしか請けず、広告収益を得るためのブログなども更新頻度は半分以下に落ちました。
この頃は「働かなきゃ……」とは思いつつも、気持ちがついてこないというような状態だったと思います。
仕事に集中できず、でも「働かないとお金が入ってこない」とやたらに焦っていた記憶があります。
でも実際この頃の記録を見てみると、広告収益と単発の制作案件で生活するには十分なお金は入ってきていました。
多分、精神的に余裕がなくて判断力が鈍っていたんでしょうね。
今の精神状態であれば、仕事をもっとセーブして息子のことに集中するという選択もできたでしょう。
人間、余裕がなくなると空回りするわけです。
2016年の年末、突然の退院許可
永遠に続くように感じられた息子の入院生活も、2016年の年末に突然終了します。
妻の話によると、その日の朝に主治医から「今日にでも退院できるけど、どうする?」と聞かれ、年越しを自宅で迎えたいと考えた妻は「退院したい」と答えたそうです。
そのとき僕は、病院近くのカフェで朝ごはんを食べていましたが、妻から退院できるという電話をうけて、急いで息子の身の周りのものを買いそろえて家の準備を整えました。
12月29日の午後、息子は退院し、はじめて自宅に帰ってくることができました。
ベトナムは旧正月(2月頃)をメインで祝うため、12月・1月の年末年始は静かなものですが、それでも家族そろって年越しできたのは幸せでした。
とはいえ、まだまだ息子も同じ月齢の子に比べれば身体も小さく、しばらくはハラハラしながら過ごしていましたが、日を追うごとに力強くなり、1歳半になろうとする現在では体格も平均以上で、やんちゃを絵に描いたような子に育っています。
2017年、仕事のモチベーションが「家族」に
自分でも意外ですが、現在の仕事に対するもっとも大きなモチベーションは「家族」です。
以前なら断っていたであろう「面倒だな……」と感じるような仕事も、スケジュール的に問題なければ請けるようになりました。
もっとも、息子がまだ小さく、基本的に遠出できないため休みを取っても意味がないというのもありますが……
そのおかげか、2017年は売上的にも内容的にも過去最高と言える成果を出すことができました。
能力的にも人間的にも信頼できる仕事仲間にも何人も恵まれ、30代後半に突入した今、さらにステップアップしていける予感があります。
あともう一つ言えるのは、モチベーションが上がらないとき、気持ちに余裕がないときでも、コツコツと継続することが本当に大事だということを身をもって学びました。
生産性がよくなくても、決めたことは何が何でも続ける。
僕の場合は「毎日ブログを書く」ということでしたが、そのおかげで2016年後半のしんどい時期も収入が途絶えることことなく乗り切れたと思っています。
2018年1月、3度目の手術を無事終えた
さっきも言いましたが、息子は消化管穿孔という病気でした。
この病気は生まれつき腸に穴が開いており、そこから内臓の方へ便が流れ出て感染症などを起こしてしまう病気だそうです。
そのため、息子は2回の手術で大腸の大部分を切除し、おへその右下に人工肛門を設置していました。
息子の成長度合いを見ながら、頃合いをみて人工肛門を閉じる手術をすると聞かされていましたが、それが先月ついに行われました。
これが無事成功すれば、息子は晴れて他の子と同じような生活を送ることができるようになります。
ただ、消化管穿孔を患った子の中には、腸がうまく働かず(=おしりから便が出てこず)、何度も人工肛門を設置しなおすケースもあるそうです。
そんな話を聞いていたため、手術後2日間は、なかなか汚れないオムツに家族みんなため息ばかりついていました。
しかし3日目の朝、これまでが嘘のように大量の便が出て、飛び上がって喜びました。
妻が泣きながらオムツを変えていたのが印象的でした。
それから数日は傷の痛みでしんどそうにしていた息子も日に日に回復し、10日ほどで退院することができました。
これまでは人工肛門がいつ漏れるかも分からないため、外出はできるだけ控えていましたが、今では他の家庭と同じように外出できます。
当たり前のことですが、その当たり前がものすごくありがたく、少しずつ行動範囲が広がっていく毎日に幸せを感じています。
父親になってはじめて分かったこと
こんなこと言うと妻に怒られそうですが、僕は息子が生まれるまで「子どもがほしい」と思ったことはありませんでした。
父親になった自分を想像できませんでしたし、子どもの見本となるような人間でいられる自信もありませんでした。
でも実際父親になってみて分かったのは、そんなものは必要ないということ。
父親である自分を想像できようができまいが、息子という存在が否が応でも僕を父親にしてくれました。
とはいえいまだに見本になれるとは思いませんし、できれば楽をしたい・サボりたいと考えたり、些細なことで腹を立てるような人間です。
でも自分の人生の中心に息子という存在ができたことで、それ以前とは確実に生き方が変わったと感じています。
僕が想像していた以上に、父親になってはじめて見えるものがあるということを知りました。
僕が息子を立派な人間にするとか、才能を伸ばすとか、そんなことは考えていませんし、できるとも思っていません。
ただ、あの3度にわたる手術を耐え抜いて今、やんちゃに育ってくれている息子が、自分で幸せをつかみ取ってくれるのを信じるのみです。